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19世紀末にアメリカで生まれた政治学の新しい領域「行政学」について。行政学の発展や転換などについて簡単に説明しています。
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しかしながら、国家の職能は、近世の絶対君主による殖産興業政策以来、今日までただひたすら拡大の一途をたどってきたのではない。その間に一度揺り戻しの時期があったのである。すなわち、絶対君主制の下でやがて資本主義経済が発達し、いわゆる市民階級(ブルジョワジー)が登場するようになると、国家による殖産興業政策が彼らによって批判されるようになった。それは、「国内産業を保護する関税政策をはじめとして、産業を保護、助成、振興するために行われていた国家による各種の規制・介入措置が、産業の自由な展開を制約し、かえって経済の発展を阻害している」とする批判であり、「国家は市民経済に対する不必要な規制・介入をやめ、市民社会の側の自由な活動を許容すべきなのであって、そうしたほうがむしろ、資本主義経済を伸び伸びと発展させ、国を豊かにする早道である」という主張であった。
このような新しい思潮のことを、その当時フランスで流行していた言葉「レッセフェール」を取って自由放任主義と呼ぶ。この自由放任主義の思潮を自由主義経済の理論にまで高め、「神の見えざる手」による市場の自動調整作用について説いた古典著作が、イギリスのアダム・スミスの「諸国民の富」(1776年)であった。
◯安上がりの政府
自由放任主義が一世を風靡していた時代のイギリスでは、国家の果たすべき職能はあたかも警察官が夜間の街頭を巡回して市民生活の安寧を守ることに尽きるかのごとき俗論も横行していた。そこで、このような通俗的な国家間のことを夜警国家論と揶揄していた論者もあった。国家の職能は国防・警察・裁判に限られるべきとするのは、いささか極論であったにしても、資本主義経済の先進国であった当時のイギリスでは「国家は安上がりであればある程良し」とする主張が支配していた。そこで、この種の国家観のこと「安上がりの政府」論と呼ぶのが通例になっている。1801年にアメリカ合衆国第三代大統領に就任したトーマス・ジェファーソンのことば「最小の行政こそ最良の政治なり」も、この国家観を表している。
この種の自由放任主義の思潮は、イギリスに典型的であったが、程度の差はあれ、市民革命を経て立憲君主制または近代民主制の政治体制に移行したヨーロッパ大陸諸国にまで広く普及して行き、これが国家の職能の拡大に歯止めをかけていたので、近代国家の職能範囲は一般に、今日の現代国家のそれに比べればまだはるかに狭いものにとどまっていた。

参照元:Wikipedia「行政学
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